勉強するときに「何のために今これを勉強するのか」をつい考えてしまう。

勉強ではなく、趣味とか好きなことならば楽しいのでいちいちそんなこと考えない。これは単に勉強をしたくないための言い訳を考えているだけであり、現実逃避だということに気づいた。

何のために勉強するのか。答えは既に出ている。
近い将来の目標を達成するために必要だから。

近い順に並べると、

単位をとるため。卒業するため。電気電子関係の企業に就職するため。ベンチャー企業を立ち上げるため。

22歳になってしまった今。本来ならば卒業して社会に出るはずの年齢。過去のあやまちのためか、周りの人達よりもスタートが大きく出遅れてしまった。しかし始めるのに遅すぎるということはない。

周りの人にはない貴重な経験をしてきたという面はある。歳のせいにしてあきらめるわけにいかない。

「人生は今からでも変えられる」

今の状況があるのは全ての過去の積み重ね。良いところも悪いところも全て現在を導出するために必要な過程だった。

(自分の場合、留年しなければ起業という考えには到達できなかったように。出世コースに乗っているとレールの上から脱線することを恐れてしまう。レールから外れると自分で道を作るしかなくなる。)

今の自分は自分が望む理想像には程遠い。足りない部分、できていないことがたくさんある。自分に甘いし弱すぎる。

それでも所々に貴重な出会いがあり、貴重な体験をしてここまで来た。今まで無駄な時間があまりにも多かったけど、もしその無駄な時間がなかったら、貴重な出会い、体験はできなかった。過去は無駄ばかりだったけど、その一パーツも切り離せない。

とある人から「非効率の効率」ということを聞いて自分なりに考えてみた。

特定の分野に固執して必要、不要を選別していると視野、可能性が狭くなる。
例えば自分は工学部だが、農業的なことに関わることは無駄かといえばそうではない。二つを融合して新たな価値を生み出すことも十分にできると思う。例えば学生人材バンクの柿ドロボー企画の柿ドロボーTシャツはと学生と農村との関わり合いにT-printが僅かながら役に立った良い例。
http://i-site.jinzaibank.net/dd.aspx?itemid=6583&efromid=0#moduleid1082

また、ちゃり部(自転車)から起業のきっかけを見つけるとは思いもしなかった。どんな経験がどんな時に役に立つかは分からない。これからは分野にとらわれることなくできるだけ多くの経験をして、その全ての経験を目標に役立たせれば良いという考えに至った。

今経験することの全てが未来を作っていく。だから学べるものはすべて学び、やりたいことに没頭し、興味あるものに全力で進んでいけば、自分が望む未来に近づけるのではないだろうか。