ロバート・キヨサキ著の有名な本。

4年前に読んだが、改めて読むと全く違うものに思えた。

4年前に読んだときは凄い・・・でも今の自分には無理だ。羨ましいけど関係ない。

そう思って、適当に流して読んでいた。

今読むと非常に面白い。固定観念をここまで突き破る本はなかなか無い。

事業家という生き方をしたい。

読んでいてふと思ったが、開拓農家の僕の祖父が「金持ち父さん」と同じことを言っていたことを思い出した。

「最後に頼れるのは自分の頭だけ。
人と同じことをしていては駄目だ。」

頭で稼いできた専業農家の祖父母の歴史は非常に面白い。80歳になった今も広島で毎日農業している超先進的な農家だと思う。

道も電気も水道も何も無いただの山をブルドーザーで開拓して、今では細長く縦に2kmほどの農場になっている。

略歴はこんな感じ。

アメリカに渡り、農場で農業を学ぶ(当時は外国に行くこと自体が稀)
→帰国

ブルドーザーで開拓して水田を作る

廃校になった校舎から木材を安く買い、家を建てる

電気を作るため、川に水車を作る
→電気関係の教科書を見ての手作り
→オオサンショウウオが引っかかってよく止まっていて大変だったらしい。

土壌改良のため、大量の肥料が必要
→牛、豚を飼う→赤字で失敗
→余談1:僕の母姉妹が小学生の頃、豚に乗って遊んでたらしい。

→養鶏場を誘致する
→鶏糞とともに毎月不労所得を獲得
→土壌もだんだん良くなり、稲も育つ

未開拓の山で椎茸を育てる
→お金にならず
→椎茸の乾燥機を導入して付加価値を上げて利益を産む

国の減反政策発令
→大ピンチ
→5つの水田を掘って池にする
→養鯉会社と提携して事業所得を得る
→減反政策自体の補助金で不労所得獲得

舗装道路を引っ張ってくる

畑作(広島菜)
漬物会社と契約して広島菜を巨大な桶で漬物にして出荷
→付加価値Upで取引

東南アジアの若者を泊り込みで毎年受け入れる(一年で卒業して入れ替わる)
→世界の農業を育てる貢献
→国の補助金を獲得
→若い労働力を獲得
→余談2:僕も中学生の時に「日本語を教えてください」と言われ、なかなか伝わらず大変だったことがある。必死に学ぼうという熱意は心を打たれた。この人達はそれぞれの国の超優秀な選抜メンバーだと後で聞かされた。主にフィリピンとインドネシアだった。小学生の頃から10人くらい会ってきたが、みんないい人だった。

祖父は英語とフィリピン語(ワライワライ語)が感覚で話せる。

まだまだ沢山あるけどテーマがそれるのでこの辺に。

農業の持つ可能性と魅力を限りなく引き出している農家だと思う。

山口大の農学部の従兄弟が卒論にしたら、農学部の教授はみんな祖父に興味を持ったらしい。

理論上の農業経営の知識は大学講義でやるとして、それに加えて実際に農業経営している人を呼んで講義すればきっと、その科目に興味が持てるはずだと思う。

祖父が講義できるかはあやしいが・・・

僕の父は典型的な貧乏父さんだと思う。

僕が高校生の時にローンを返済し終えたばかりのマイホームを手放して引越しして、諦めれない夢のために公務員から会社員になった。(国立大→私立大)

本人としては凄い決断だったと思う。聞かされたときは冗談だと思っていた。

大学のHPでは、無理に笑顔を作っているプロフィール写真を見て、笑ってしまう。
普段あまり笑ったところを見たことがない。

この本では、貧乏父さんを評価していない。確かに書いてあることはものすごく共感できるし、目からウロコの新しい視点が得られる。

だけど僕は父を尊敬している。
その生き方が間違っているとは思わない。

父は大学で研究がしたい、やりたいことをやって生きている。
休日に大学に行ったって、全く給料はでないのに僕が保育園の頃から、何かと大学に研究の続きをしに出かけている。

NMR(核磁気共鳴装置)室でいつも白衣を着ていた記憶がある。 小さいころから「えねまーる」という言葉を頻繁に聞いていた。(発音はこれで正しい)

目立った成果はあげられていないから、苦しんでいるみたいだが、なんとか成功して欲しいと願っている。

両親とも研究者だったためか、姉も目指していた研究職に就いた。

僕もなんとなく研究者になりたいと思っていた。

だけど大学に来て、はっきりと違うと分かった。確かに研究は楽しそうだ。でも苦しいのも事実。華々しい成果なんて一生出なくても不思議ではない。

僕だけが学歴社会から脱線している。

普通、3年間も余分に大学にいたら、同じ教員の立場として、苦言を呈すものだと思うが、
父はそのことについては一言も言わない。

母は留年したことを笑っていた。「まあ、あんたには努力するなんて無理よ。努力できない私の遺伝のせいだから。」

姉は、「いいなー私も哲平みたいに自由に生きてみたい。」って言ってた気がする。

因みに父も母も、今の僕の状況を一切知らない。ただ留年してふらふらしていると思っている。

今年の夏休みは親に今の状況とこれからのことをきちんと話そうと思う。

僕は事業を起こして事業家になる。

毎日、毎時間わくわくしていたいから。

「それは無理だ。」とは言いたくない。

「どうすればできるようになるか?」を考える人生が良い。

これから、大多数の人と違う道を行けば、間違いなく非難を受けることになるだろう。

そんな時はこの言葉を思い出そうと思う。

「自分の心に聞いて、正しいと思うことをやることだ。なぜならいずれにせよ非難を受けることになるのだから。たとえ何をしようと、また何もしなくても、文句を言われる。」

byエリノア・ルーズベルト(ルーズベルト大統領夫人で世界人権宣言の起草に力を尽くした)